ひたむきさの価値

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『競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを、あなたがたは知らないのですか。ですから、あなたがたも賞を得られるように走りなさい。』(Iコリント9章24節)

先日は小学校の運動会がありました。

それぞれの学年が特色ある種目に挑戦していましたが、中心はやはり徒競走です。「ヨーイ…パン!」。ピストルの音で一斉にゴールに向かって全力疾走するこの徒競走という競技。晴れ晴れしい思い出や酸っぱい思い出など、皆様それぞれ色々な経験がおありのことでしょう。

じつは、聖書の中にもこの徒競走の事が記されている箇所があります。それが上記の言葉です。

ただ、この箇所は、誤解されることの多い箇所ではないかと思います。あたかも「信仰は競争であり、一番になれないと神様に認めてもらえない」かのような、そういう受け取りかたをする方がいらっしゃるのではないでしょうか。それで、「昔の苦い思い出がよみがえり辛くなってしまった…」。そのような方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。

もちろんこの箇所は、そういうことを言っているのではありません。そうではなく、

ひたむきであることの大切さ

を説いているのです。

私たちが神を求めることにおいて一番大切なのは「心を神に向け、神が用意していて下さる栄冠を目指して一心に進んでいくこと」です。そこで、その心意気を他のものに例えるとすれば、それは競技場で賞を目指して走るアスリートの姿勢に似ていると、そう言っているのです。

つまりこれは「どういう心で神を求めていくか」という「個々人の心のあり方」を語っているわけです。決して「他の人と比較して一番にならなければ、神様に認めて頂けない」という風な、そういうことを語っているのではないのです。

神の前に一番尊いものは、ゴールを目指して一心に走るあの子ども達のような、素朴な熱心さです。

あなたの心には、そのような「神へのひたむきさ」があるでしょうか?

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