2012年4月より古川福音自由教会にて奉職中の門谷信愛希牧師を紹介いたします。
牧師 門谷 信愛希(かどたに のぶあき)
1976年、米国ミネソタ州セントポール生まれ。2歳を前にして帰国し、川崎市を経て、神奈川県厚木市にて高校まで住む。神奈川県立厚木高校在学中、2年生の時に洗礼を受ける。95年、東北大学工学部に入学、仙台福音自由教会に集うようになる。99年、同通信工学科を卒業。2001年、東北大学大学院工学研究科・博士前期課程修了(工学修士)。大学での専門はコンピューターを用いた音声認識。2002年、神の召しを確信し、同後期課程を中途終了。2003年より聖書宣教会 聖書神舎・本科(4年コース)にて神学の学びを受ける。2007年3月に卒業し、仙台福音自由教会に赴任、2012年3月末まで副牧師。2011年3月11日に発生した東日本大震災に際しては、全国からの支援に支えられ、三陸沿岸で支援活動に従事。約1年後の2012年4月、古川福音自由教会の牧師となり現在に至る。2007年9月に結婚、四児の父。趣味は登山、オートキャンプ、映画鑑賞、大工仕事、ホームページ作成、ギターなど。
牧師Q&A
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転機が訪れたのは、卒業論文に取りかかった頃からです。当時の私は、次年度のことで悩むようになりました。大学院に進学し研究を深めるのか。就職して社会に出るのか。踏ん切りがいまいち付かないまま取り組んだ卒論で大きな壁にぶつかったのです。プライドが高く、謙虚に人に教えを請うということができなかった私は、研究の行き詰まりを感じ、ストレスのため重度のアトピー性皮膚炎になりました。大学院入試はなんとかクリアしましたが、卒論は本当に情けないほどの出来映えで、穴があったら入りたい、という思いでした。
幸いアトピー性皮膚炎は徐々に快方に向かい、大学院に進学した私の次なる目標は、音声を使って感情を判別するシステムを作る、ということでした。研究室での人間関係は楽しいものでした。当時の私の研究は、録音した声を処理し、プログラムを作成して分析し、改良してはまた分析する。基本的にはこの繰り返しで、朝から晩まで、コンピューターの前に座り続ける日々が続きました。そのような中、再び私の心の中に疑問がわいてきました。「一日中、画面の前に座って、生きて行くのだろうか」。何とも言えない心の渇きが、沸いてくるようになったのです。「自分のライフワークは、機械の前に座って生きることではない。人に向き合い、人に仕えていくことではないだろうか。」そういう考えが、私の心を捉えるようになったのです。しかし、プライドが高く、人の気持ちが分からずに失敗を何度か経験し、また人前に出るのが得意でない自分に、とても務まるとは思えない。考えれば考えるほどそう思いました。
4年間この思いを心に抱いては封印し、という日々が続きましたが、この思いはそれからも大きくなりつづけ、消えることがありませんでした。そして、最終的に、博士課程の2年のとき、ある聖書の言葉に背中を押され、私は牧師としての道に一歩踏み出す決心をしたのです。それから4年間、東京の神学校で学びました。人生で最も喜びに満ちた学びの期間であったと申し上げたいと思います。
しかし日本は工業立国といわれ、工学の力で国を支えているといっても過言ではないと思います。そのような中で、「理系牧師」が存在する意味は、決して軽くはないと思っています。理系の研究者は、文系の研究者とはまた違ったプレッシャーの中で生きています。私は理系出身者として、僅かですが、そういった方々の心境を想像することができるように思います。これは意味のあること思います。
そして、実際に神学校に行って専門的に聖書を学んでみると、想像以上に「理系的素養」が大切な分野だということが分かってきました。いささか乱暴かもしれませんが、純粋な意味での「工学」というものが誕生したのは、18世紀の蒸気機関の発明以後といっても過言ではないと思います。その意味では「工学はわずか数百年の学問」です。
一方、キリスト教神学には2000年の蓄積があります。世界最初の大学は、キリスト教神学と医学を学ぶ場であったことからしても、膨大な歴史があることが分かります。キリスト教は、世間一般で「信仰には、とにかく信じる『気持ち』が大切」というような情緒的なものではなく、論理学、修辞学、言語学、歴史学といった非常に多くの学問的検証を積み重ねて現代に至っていることが、学んでみて初めて分かってきたのです。そういう意味で、私は理系の素地を持つ立場で牧師の道に導かれたことを、神様に感謝しています。
牧師として、求められる対応は人によって全く異なります。そのような中で、ともに聖書を開き、ギター片手に賛美を歌い、そして心を合わせて共に神様に祈る。そんなプロセスをひとり一人と共にしていくなかで、数ヶ月から、ことによると数年かけて、次第に心が変えられていく姿を見て来ました。「もう変わらない。変われない」と本人ですら思っていた所に、キリストの変革の力と希望が、少しずつ染みこんでいき、その人が変わっていく。それを傍らから見守り、支える。これこそ牧師冥利につきる、というものです。
しかしがら、牧師の仕事というものは、皆さんの想像以上に多岐に渡ります。何といっても、日曜礼拝と木曜日の祈り会で語る聖書からのメッセージを準備することは、最も大きな働きです。私の場合、礼拝用には8000〜9000文字の原稿を準備しています。これはA4の紙で6〜7枚の分量です。祈り会用としてはその2/3程度です。大学の授業風に言えば、毎週A4で10〜15枚程度のレポートを作成している計算になります。また科学の実験とは違って聖書は2000年以上も前に作られましたから、当時の時代背景や歴史、人々の生活ぶり、地図、そして何といっても、原文が書かれたギリシャ語やヘブル語など、「ことば」の違いを精査して準備に当たらなければなりません。これだけでも相当の時間を必要とします。また、メッセージは研究発表とは違って、人々の「心」に訴えかけるものである必要があります。このためには、牧師自身が心整えられている必要がある訳です。
牧師はまた、個人事業主のようなところがあり、週報など印刷物の作成、イベントのチラシの作成、会計報告や年間報告の作成と管理、会堂建物の補修や維持管理、植木の剪定、そうじ、ゴミの処理など仕事は非常に多岐に渡ります。こうした事務的な作業に加え、教会ならではの特徴として、アポイント無しで教会を訪ねてこられたり、様々な悩みの相談の相談に乗るといった、「心のケア」の働きもあります。この他、定期的に出張が入ったり、外部団体との会合で夜遅くまで会議に出るなど、文字通り「時間に関わりなく働く」という面があります。
牧師の仕事はこのように、端から見ている以上に多岐にわたるのです。
でも、牧師のもう一つの大切な働きは、「傾聴」です。人間というものは、耳を傾けて、じっとお話を聞いてもらうこと。それだけで、随分と心が軽くなるものです。牧師は、何でも自由に話しても安心できる相手となることを目指しています。肩肘張らない世間話でも大歓迎です。まずは一声掛けて頂ければ幸いです。
なお、牧師は職務上の守秘義務も負っていますので、お伺いした内容を第三者に無断で他言することはござません。また、望まない説得や強要、あるいは強圧的な言い方をしたりといったことは、絶対に致しません。どうぞご安心下さい。
牧師に話すことは、確かにはじめは気後れしてしまうかも知れませんが、少しだけ勇気を出して、ご自分のストーリーを話してみて下さい。そうすれば、「案外、牧師も話しやすいもんだな!?」と思われることと思います。礼拝や集会の時でも、ウィークデーでも、電話でも、メールでも、お好きな手段で牧師に「語りかけて」みて下さったらと思います。