思いやりと心がけは見ることができる

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Person Holding Heart Shaped Cut Out

『私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。』(ヤコブ2章14節)

昨年春のこと。子どもの入学式がありました。コロナ禍でしたが、幸い親2人までは参加可とのことで「式典」の類に久しぶりに参加することができました。

祝辞の中で校長先生が引用されたことばが印象に残りました。3.11の震災の時に各所で語られたということばだそうで、

「思いは他の人から見えないけれど、『思いやり』は見ることができる。心は他の人に見えないけれど、『心がけ』は見ることができる」

というものです。今の12歳は3.11の出来事を記憶としてはほとんど持たない世代です。そんな彼らに、他者を思いやる心、気持ちをことばにして伝えることの大切さを語ったこのことばは、きっと心に深く響いたのではないかと思いました。

さて、このことは私たちの信仰生活にも当てはめることができるのではないでしょうか。

冒頭のことばにあるように、聖書は信仰と行動とは不可分のものであることを強調しています。この「行い」とはもちろん救われるための手段ではありません。救われた「結果」としての行いです。イエス様がいのちを与えてまで救って下さったことを感謝し、喜び、その応答として、他者に仕える思いをもって接していくということです。

ですから私たちは、ただ心で思うだけでなく、実際に励ましのことばや、手紙や電話や、チャットや、差し入れや、ちょっとしたプレゼントなどで具体的に愛を表していきたいと思います。そこに信仰者の交わりの麗しさがあるからです。

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