当教会が大切にしていること

 古川福音自由教会のウェブサイトにお越し下さり、心から感謝致します。このページをご覧になっておられる方の中には、教会という所を一度も訪れたことがない、あるいは、キリスト教とは縁の無い人生を歩んできた。そのような方が多くおられることと思います。しかし、このページにたどり着かれたということは、キリスト教や教会というものに何らかのご興味をもっておられるのだと思います。

 「百聞は一見にしかず」と言いますように、そのような方には「まずは気軽に体験してみて下さい」と申し上げたいと思いますが、やはり、敷居の高さを感じる方も多いかと思います。そこで、古川福音自由教会がどのような教会かを少しでも知って頂けるよう、当教会が大切にしていることを以下にご紹介致します。

1.聖書のことばを大切にしています

 この世の中には、沢山の情報が溢れています。テレビ、新聞、インターネットと、24時間常に私たちは情報に触れて生きています。その中には、有益なものもあれば、時間の浪費と思えるものもあり、中には有害なものもあります。私たちは、そうしたものをある「基準」によって選別して生きている訳です。そしてその「基準」は、私たちそれぞれの、それまでの人生経験によって構築されて行きます。ですから、人によって「基準」は千差万別です。これが、私たちが周囲の人々との間に葛藤を感じたり、軋轢を生じたりする理由です。人間の持つ「基準」とはこのように、相対的なものです。言うなれば、海の波のように、状況や場合によって変化するのです。しかし、このような「基準」が果たして、本当に正しいものであるか否か、あるいは、本当に人生を導くに足る基準であるかは、どうすれば分かるのでしょうか。

 例えば、私たちが「長さ」を調べるとき、どうするでしょうか。ものさしや巻き尺をあてますね。1mのものさしの長さは、世界どこに行っても共通です。変化しないものだからこそ、安心して私たちは長さを測定できるのです。つまり、私たちが客観的な判断を得たければ、相対的な基準ではない、絶対的な基準と比較する必要がある、ということです。そしてこれは、人生にもそのまま当てはまることではないでしょうか。「自分の基準」を貫き通すのではなく、むしろそれを積極的な意味で一度疑ってみる。第三者の目で見つめてみる。そういう営みが、私たちには必要ではないでしょうか。

 聖書は、そのための基準を指し示してくれる書物と言えます。聖書はそれが書かれてから3000年もの間、人類にとって確かな基準を与えて来ています。政治形態、文学、哲学、果ては自然界を探求したいという科学の営みにとってさえ、元を辿れば、聖書が語る神が創造された世界を理解したい、という思いから出発したものです(英国オックスフォード大学など、世界最古の大学は全て、聖書の学びをする学部からスタートしています)。ですから、聖書のことばを知ること、またその背後にある思想や、考え方を知ることは、私たちにとってとても意義のあることです。何より、「相対的な基準」しか持たない私たちにとって、「神の目には私たちはどう映っているのか」という「絶対的な基準」を提示してくれるもの。それが聖書と言えるでしょう。

 古川福音自由教会では、この聖書のことばを、教会活動の中心に据えています。礼拝の中でも、様々な行事の中でも、必ず聖書を開き、そのことばから励ましを得、慰めを受け、そして人生の指針を得る時を持っています。聖書の中には、分かりにくく思える箇所もあります。それは、古代の文書であるということからくる、歴史的・文化的な違いによるものです。そのような違いを理解すると、聖書のことばは3000年の時を経ても一向に古びることなく、むしろ生き生きと私たちの心に語りかけてくることがお分かるなるでしょう。ぜひ、あなたも聖書にご興味を持って頂けましたら幸いです。

2.アットホームな交わりを大切にしています

 古川福音自由教会では、礼拝や集会などの様々な機会に、お茶や茶菓を食べながら共に歓談する一時をもっています。これを「交わり」と呼んでいます。人間は誰でも、自分のことを他者に知ってもらいたいという基本的な欲求を持っています。そして、他者の人生に起こったことを知りたいという願いも、同時に持っています。この両者がバランス良く機能することによって、私たちは心の平安を持つことができます。

2013年度のイースター祝会のようす

 この情報化の時代、インターネット全盛の時代に、わざわざ日曜日ごとに、あるいは折に触れて教会に「集まる」必要があるのかと、思われるかも知れません。確かに、聖書の話を聞くだけなら、スマートフォンやパソコンで音声データをダウンロードすれば充分です。しかし、私たちの心は、本当にそれ「だけ」で癒やされるものなのでしょうか。本当に、私たちの心は満足を覚えるでしょうか。むしろ、人間の心は人間と触れあうことによってこそ、癒やされていくものではないでしょうか。

 このように考えているからこそ、古川福音自由教会は交わりを大切にします。しかもそれは自由で、家庭的であるべきだと考えています。形式張っていたり、良いところだけを見せるようなものではなく、正直で自由な語らいを目指したいと考えています。

 世間一般で言うところの「教会」のイメージは、「清いところ」とか「真面目な人が行くところ」から、「堅苦しいところ」までいろいろあると思います。しかし、一度教会に来てみると、多くの方が、「普通の人々がいる、普通のところだった」という感想を持たれるようです。教会は決して、真面目な人、清い人が行くところではありません。むしろ弱さや惨めさを感じている人、自分に幻滅している人、途方に暮れている人にこそ、開かれている場所なのです。

 古川福音自由教会ではそのような交わりを大切にしたいと考えています。まずは「どんなところか見てみよう」という風な、気軽な思いでお越し下さったら幸いです。

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