『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』(Iペテロ5章7節)
久しぶりに子どものプールの送迎を担当したときのことです。
プール内を映し出すテレビを見ながらふと、「そもそも人はなぜ泳げるんだったっけ?」と思いました。ネットで調べると、そもそも人体の比重は水よりほんのわずかだけ重いだけだそうです。そして肺には沢山の空気があって、それが「浮き袋」として働くため、普通は人体は必ず浮くのだそうです。
ところが現実には、どういうわけか沈んでいく人が多いようです(私もそうです。泳ぎはできるのですが…)。
一体これはどうしたことでしょうか?
調べてみると、どうやら「力み」が原因のようです。力むと筋肉が縮み、比重が増して沈む。これが一点。次に、水面に平行であれば浮力が最大限働きますが、力むとそうでなくなるので沈みやすくなる。これが二点目です。
つまり「完全に身を任せて委ねきった状態」であれば浮くことができるのです。自分ではできているつもりでも、案外できていないのです。
このことは、神様との関係に示唆を与えているのではないでしょうか。
私たちは「委ねます」と祈っても、心の奥底では神様に委ね切れていない部分があるように思います。その結果、思い煩いで心がいっぱいになってしまい、さらに心が沈んでいく…。そんな悪循環で苦しむことが多いのではないでしょうか。
聖書を読んでいくと、そのように「委ねきること」を苦労しながら学んでいく信仰者の姿があります。ある意味では信仰生活とは「委ねることを学ぶ旅」とも言えるでしょう。冒頭の聖書のことばは、そのような歩みの幸いを語った箇所です。
あなたはいかがでしょうか。負わなくてもよい人生の重荷を背負いすぎてしまったり、あるいは頑張ろう、へこたれないで行こうと、力みすぎてしまってはいませんか。今日から、神様の前にあなたの重荷を降ろし、神様に委ねていこうではありませんか。