聖書に収められている書巻はどうやって決まったのですか?

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【回答】次のような歴史的プロセスと検証を経てです。

こんにち、私たちが一般に「聖書」と呼ぶ書物には、66の書巻が収められています。旧約は39巻新約は27巻です(3×9=27と覚えるのが良いでしょう)。この66の書巻を「正典」と言います。これは「聖典」とは違う概念であることに注意しましょう。「正典」は「聖書」の範疇に納めるべき書巻であるか否かを決定する概念であり、「聖典」とは「神のことばであるか否か」を判断する概念だからです。ですから今回の質問で問われているのは前者の「何が正典か」という基準についてのことです。これは、以下のような明確な根拠に基づいて決められました。

1.旧約聖書

教会ではなぜ聖書を「神のことば」と呼ぶのですか?」のQ&Aで見たように、旧約聖書の最古の写本は死海写本であって、紀元前1〜2世紀に書き写されたものですが、その中で扱われている「内容」については、紀元前20世紀(アブラハムの時代)から紀元前6世紀(ダニエルや小預言者たちの時代)まで、実に1400年間にも渡る非常に長い期間のことです。これが新約聖書と大きく異なるところです(新約聖書はイエス・キリストの誕生から使徒たちの宣教までわずか70年弱の期間を扱っています)。

これほど長い年月を掛けて旧約聖書は記された訳ですから、それらがどのようにして現在の39巻に固定されたのか、その経緯については残念ながら文書では記録が残っていません。ただ、これは無理も無いことでしょう。旧約聖書が記されたのは、日本で言うと縄文時代から弥生時代のことです。日本ではようやく文字が使われたかどうかという時代の話なのです。それほど古い時代の文献において「誰がどこでどのように記したか」を特定するというのは非常に困難です。

どれほど困難であるかは、聖書で言うとイエス様の時代よりも遙かに後にあたる「邪馬台国」(紀元後2〜3世紀)が、日本列島のどこに存在したかすら未だにはっきりとは分かっていないことを考えると、容易に想像できるでしょう。

ですから余りにも古い旧約聖書がどのようにして現在の39巻になったのか、成立過程を辿ることには非常な困難があります。しかしだからといって、後の時代の人が勝手に組み合わせてツギハギの書物を作ったというのではありません。かなり早期から既に39巻が正典として受け入れられていたことは確実です。以下の点からそれが分かります。

① 70人訳(LXX)の証言

70人訳とは、ヘブル語の旧約聖書をギリシャ語に翻訳したもので、紀元前250〜150年頃エジプトのアレキサンドリアで翻訳が行われたものです。この70人訳には、すでに旧約聖書の最後の書巻であるマラキ書が含まれていました。ですから当然、旧約聖書の39巻が正典化されていたのは少なくともこれよりも前であることは確実と言えるでしょう。なお、70人訳にはヘブル語聖書に含まれていない書巻(現在では外典と呼ばれるもの)も含まれており、それらは紀元1 世紀のヤムニア会議にて正典から除外されています。

② 歴史家ヨセフスによる証言

紀元60年頃のユダヤ人の歴史家ヨセフスは、「アピオーンへの反論」という書物において、旧約聖書の中にある「律法」「預言者」「先祖たちの書物」という三つの区分について言及しており、それがペルシャ帝国の王アルタクセルクセス1世(在位は紀元前465〜424年)の治世にはすでに完成していたと証言しています。また「これらの書物は全て『預言者』によって記された」と証言しています。従って、少なくとも紀元前5世紀の半ばには旧約聖書は今ある39巻が揃っていたことは確かだと言えるでしょう。

③ マカベヤ記第1の証言

マカベヤ記とは外典に記されている書物ですが、中間時代(旧約と新約の間の時代)のイスラエルの歴史を記した書物として高い評価を受けています。特に紀元前2世紀のマカベヤ戦争が扱われています。その中に「預言者が彼らに表れなくなって以来、起こったことのないような悲しみに出会った」(9:27)とあります。旧約聖書の最後の預言者はマラキでした。つまりこの時代にはすでに「預言者が現れなくなって久しい」という感覚が一般的であったことが分かります。従って、旧約聖書の内容が定まっていたことはこれよりもかなり前であることが分かります。

④ イエス・キリストによる証言

復活後のイエス・キリストは弟子たちに「わたしがまだあなたがたと一緒にいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法預言者たちの書詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません」(ルカ24:44)と語って、「律法」「預言者」「詩篇」(”その他”の書物の中で最長の書)という三区分に言及しています。また公生涯における言及も旧約聖書のあらゆる箇所におよびます。つまりイエス・キリストは旧約聖書の全体を今ある形で正典として受け入れていたことが明白と言えるでしょう。

2.新約聖書

では、新約聖書についてはどうでしょうか。もちろん新約聖書も、最初から現在の27巻で固定されていた訳ではありません紀元2世紀の中頃までには、ヘブル、II・IIIヨハネ、IIペテロ、ユダ、ヤコブ、黙示録以外の書巻については承認されていましたが、これらの書巻については正典性についての議論がその後も続き、徐々に正典として受け入れられていきました。最終的に現在の27巻に固定されたのは、紀元397年に行われた「第三カルタゴ公会議」においてです。

カルタゴ公会議で議論するアウグスティヌス

なぜこの年までこれらの書物が正典に入らず、留保されていたかというと、①著者性(誰が書いたのか)②神学的内容、の二点について議論があったからです。例えば、ヘブル人への手紙は、現在でも著者が誰であるか、いくつかの説(アポロ・ルカ・パウロ等)があり、確定していません。一方、ユダの手紙やIIペテロには一見すると「死者への福音」と読める可能性がある独特の箇所があります。また黙示録についてはその文学的なスタイル(黙示文学)と、内容についての議論があったことが挙げられます。では、最終的な判断基準となったのはどんな点だったのでしょうか。以下の4点が挙げられます。

① 使徒性

イエス・キリストの使徒自身が書いたことが確実である(マタイ・ヨハネ・パウロ書簡など)か、または著者が使徒と非常に密接な関係があったということが内容から判断できる(マルコ・ルカ・使徒・ヘブル)か。

② 内容の確かさ

書かれている内容が神についての真実を語っているか。具体的には、既に正典として認められた他の書簡や旧約聖書との矛盾明らかに分かる誤りや誇張などがないか(この基準により外典的・偽典的なものの大半が取り除かれた)。

③ 普遍性

その書巻は当時の教会において普遍的に受け入れられているか。聖霊が確かに働いているのであれば、一部の者だけにではなく、多くの人々にとっても受け入れられるはずであから、一部の教会だけで受け入れられている書巻は普遍性があるとは言えない(この基準により、さらに不適当なものが退けられた。但し上述のヘブル書などについての議論が長期化する要因ともなった)訳です。

④ 霊感

その書が神の霊感により書かれたという証拠があるか。具体的な証拠としては、預言の成就や、読者の霊的生活におこる変革など、外的に目に見える証拠が伴っているか。

・・・

以上の条件によって新約聖書の正典性は確かめられられ、最終的に現在の27巻に固定され、現在に至るまで受け継がれています。

正典化の作業には300年近い年月がかかりましたが、逆に言えば、それほどに慎重に、古代の教会はそれぞれの書巻が真正なものであるか否かを判断したのです。 そして、それぞれの書巻には驚くべき一貫性が保たれています。これはまさに、神が信仰者たちに働いて、誤りなく導かれたからだと言えるでしょう。

ですから私たちは、現在の66巻からなる旧新約聖書神のことばとして信頼しつつ、安心して受け取ることができますし、そうして良いのです。

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