実を結ぶ歩みをするために

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sandid / Pixabay

『わたしの枝で実を結ばないものはすべて、父がそれを取り除き、実を結ぶものはすべて、もっと多く実を結ぶように、刈り込みをなさいます。』(ヨハネ15章2節)

新緑の美しい季節になったなあ、と思っていた先週、教会前の公園の樹木の剪定が行われました。どれくらい切るのだろうと遠目に見守っていましたら、何とチェーンソーの音が聞こえてきました。気が付くと、大きな枝は軒並み大胆に切り落とされ、青葉は上の方に少し残るばかり…。「ここまでやるんだ!?」と驚きましたが、切ったのはプロの植木屋さんです。ど素人の私には分からない、絶妙の塩梅で剪定をされたのだと思います。時間が経てば、成果は誰の目にも明らかになることでしょう。

ところで、このことは「神が私たちに対してなさること」にも当てはまるように思います。

私たちは皆、「これは有望そうだ」と期待したり、「この方向で行けば伸びる」といった考えを持っています。しかし「神の目」から見ると、それは「見込みのない枝」であったりすることが実際にあるわけです。ちょうど、植木屋さんの目と私たちの目とで、見ているものが違うように…。

結果、私たちが望まなかった方向に、人生が動いていくことがあります。そして私たちは戸惑い、悩み、葛藤します。人生の問題の一つはこのように、「予想したのと違う方向に物事が進んでいってしまうこと」ではないでしょうか。

でもそれは言わば「剪定される痛み」と言えるかもしれません。剪定は、短期的に見れば、木にはダメージを与えます。ですから暑い時期にやってはならず、涼しい時期にやるのがセオリーとされているほどです。確かに、剪定には痛みが伴うのです。

ただ、木がそこで短期的な視点だけで自分を見ていたら、将来、ただ大きいだけで何の実も実らない木になってしまうかもしれません。実を実らせるためには、見込みのない枝は取り除いて、実を結ぶ枝にフォーカスする必要が、どうしてもあるのです。

同じように私たちも、「今の痛みは、将来美しい実を実らせるために、必要なことなのかもしれない…」と考えることができれば、痛みは和らいでいくのではないでしょうか。

創造者なる神は、あなたの人生にも確かな導きを与えることのできるお方です。

この「植木屋さん」としての神様に人生を委ねてみてはいかがでしょうか。