キリストのファンとして

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『あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。』(ピリピ2章2節)

人と仲良くしたいなら、野球の話は禁物だ」。

こんな笑い話のようなことわざが世にはあるのですが、先日は、野球の話をきっかけに話が弾む経験をしました。東京の研修講座でふと「先生は○○ファンだそうですね!?」と声を掛けられたのです。それから数分間、今年の優勝確率、選手起用等々、話に花が咲いたのは言うまでもありません。

考えてみると、スポーツチームのファンであるとは不思議なことです。別に自分が選手なのではありません。贔屓のチームが勝とうが負けようが、人生に影響はないはずです。ところが勝敗に一喜一憂する。

なぜでしょうか。それは恐らく、ファンであるチームの「何か」に、自分を投影しているのだと思います。あたかもそのチームが「自分の分身」であるかのように感じているということです。ですから同じチームのファンであると知ると、「同じものを共有している事実」が強い親近感を与えるのです。

そう考えると、クリスチャン同士というのは最も強い絆で結ばれた人々ではないでしょうか。何と言っても「イエス・キリストの大ファン」なのです。同じ主を仰ぎ、同じ神に心惹かれ、同じ聖霊によって一つとされている。それがクリスチャン生活の醍醐味です。

では、そんなあなたは、贔屓の野球チームについて熱く語る以上に、イエス様のことを熱く語ることができるでしょうか。大ファンのあの選手以上に、イエス様のことを良く知っておられるでしょうか。

自らの心に問うてみようではありませんか。

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