確かに来て下さった救い主

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見ては
いないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍ってい
ます。(Iペテロ1章8節)

冬本番を感じるようになったある日、古川に初のまとまった雪が積もりました。朝、教会の駐車場の雪かきをしていると、珍しいものを見ました。「小さな足あと」です(上の写真参照)。この足あとは2本の足が同時に着地していることから、犬や猫ではなくて野ウサギのような小動物の足あとだと思われます。

古川に来て6年以上になりますが、教会のすぐ前でこのような可愛い足あとをみたのは初めてです。恐らく夜の間に、誰もいない新雪の上を、喜んで飛び跳ねていったのでしょう。その光景を想像するだけで、何か嬉しい気持ちになってきますね。

ふだんの私たちは、彼らの姿を見かけることは滅多にありません。私も、実際に雪の上を走っているのを見たことは一度もありません。でも、見たことがないからと言って、「いない」訳ではありませんね。いや、この足あとが示すように、彼らは確かに「いる」のです。ただ私たちの目に留まらないだけなのです。

クリスマスもこれと同じです。現代社会は12月になると、どこにいってもクリスマスカラーがあふれ、楽しい気持ちになる方が多いでしょう。でも、そのクリスマスの本当の意味を知ろうとする人は、残念なことにとても少ないのです。

世界で最初のクリスマス、つまり2000年前のイエス・キリストの誕生もこれと同じように、誰の目にも留まらない、小さな出来事だったようです。聖書には、誕生直後のキリストを見たのは、羊飼いの一団と、東方からの博士だけだった、と記録しているからです。

でも、世界の大半が見ていなかったからといって、それが「なかった」訳ではありません。いや、救い主は確かに、私たちの所に「来て下さっていた」のです。

私たち人間は、自分で見たことがないものを、なかなか受け入れようとしません。「見たことがないから」。その一言で片付けます。でも、あの野ウサギが確かに「いる」ように、救い主であるキリストが世に来て下さったことも「確か」なのです。

私たちは、2000年前に来られたキリストをこの目で見ることはできません。でも、聖書をひらくと、そのキリストの「足あと」が、明確なかたちで記録されているのです。歴史学者たちの分析は、その記録の古さや信頼性が確かなものであることを示しています。

ですから私たちは、イエス・キリストが確かに世に来て下さったことを、信じることができるのです。そして、聖書に記されているキリストの「足あと」が確かなものであり、信じるに足るものであることを理解できるのです。

あなたも、このクリスマス、イエス・キリストを少しだけ、知ろうとしてみませんか? きっと、キリストのことばが、あなたを励まし、癒やしてくれることを体験できるでしょう。それこそが、クリスマスの本当の意味なのです。