クリスチャンと政治

この記事は約2分で読めます。

『そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。』(Iテモテ2章1節)

このコロナ禍の夏、日本の政治に大きな変化がありました。総理大臣の辞任会見があり、8年近くに及ぶ長期政権が幕を閉じて、新しい政権がスタートしました。あれから数ヶ月が経ち、様々な変化が生じてきています。

この変化の時期、改めて、神様は私たちクリスチャンに「政治にどのように関わっていくべきかという大切な事柄についてよく考えなさい」と促しておられるように感じています。

そこでまず、信仰者が究極の権威とする聖書が、権力をどう語っているかを知ることから始めましょう。結論から言えば、「聖書は政治的権力の存在を肯定的に見ている」ということです。事実、ローマ13章1節では「神によらない権威はない」とまで言い切っているのです。

もちろんこれは決して「盲従」を意味しません。もし権力者が私たちに「神か私かを選べ」と強いてきたならば、私たちは神様の方を選ぶ使命を負っています。しかしそのような局面でない場合には、原則として権威を尊重する必要があるのです。

皆さんも、政府のあり方に対して賛同する面もあれば、反対する面もあるでしょう。それで良いのです。重要なことは「常に是々非々で臨む」ことです。良い面と悪い面を冷静かつ公平に評価するのです。

その上で私たちは「政府を礼賛するか、あるいは敵視するか」といった両極端に陥るのではなく、むしろ「第三の道」を行く必要があります。それは「政府が主の御心にかなう正しい判断を下せるよう、とりなしの祈りをささげつつ、対峙していくという道」です。

これこそ、上記のみことばを通して、主が私たち信仰者に願っておられることではないでしょうか。

そして、このような態度で生きていく時に、政治に振り回されることもなく、かといって政治に無関心になることもない生き方、つまり「自由な生き方」ができるのではないでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました