生命はどこから来たのか

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brown sand under blue sky during night time

『天にも地にも、わたしは満ちているではないか。─主のことば。』(エレミヤ23章24節)

今年(2021年)の2月頃のことです。NASAが打ち上げた火星探査機の「パーサビアランス」が無事火星に着陸した、というニュースが話題になりました。時速2万キロで大気圏に突入し、パラシュートで減速しながら、逆噴射でゆっくりと着陸する。緊張のミッションが成功した瞬間、管制室では歓声が上がっていました。

不屈」という名のこの探査機の目的は、「様々な機器を用いて生命の痕跡を探すこと」だそうです。今後、もしアミノ酸の一部分でも見つかれば「大発見!」と大々的に報じられることになるでしょうか。私自身はと言いますと、「見つかる可能性は非常に低いが、ゼロとも言えない」と思っています。

ただ、一つだけ確かなことがあります。それは「仮に何らかの痕跡が見つかっても、それが生命の存在を証明する訳ではない」ということです。

それは、私たちが近所の空き地でネジを一つ見つけたからといって、それが長い年月をかければジャンボジェットになる訳ではないのと同じことです。

何万本のネジや部品を設計し、組み立て、動作テストを繰り返す知性をもった人間がいて、初めてジャンボジェットは動きます。部品の山をいくら放置していても、それが自動的に組み合わさって完成することは決してないのです。偶然のみでは、たとえ1つのネジすら、ネジ山にピッタリ収まることは至難の業でしょう。これは、誰もが直感的に分かることです。

生命も基本的には同じことが言えます

ごく単純なパーツが見つかるということと、それが知性を持つ生命に”なる”ということは、まるで別のことなのです。そこには、知性を持った「設計者」がどうしても必要です。偶然の作用”のみ”では、DNA一つできないのです。これはどの科学者も認めています。

その意味で、私は、今後科学が進歩し、宇宙のことが詳しく分かれば分かるほど、もっと「いのちがいかに素晴らしいものか」が分かってくるだろうと思っています。ですから私は、科学者たちの「真実を知りたい」という情熱に敬意を抱いています。そして、もっともっと宇宙の謎が明らかになって欲しいと願っているのです。

そうすれば、冒頭の聖書の言葉にあるように、もっと「神の創造の素晴らしさ」が明らかになっていくと確信しています。

彼方の宇宙船からの報告を、期待しつつ待ちたいと思います。

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