自分の小ささを正しく知る

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『ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分の
いのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したり
するのはやめなさい。』(マタイ6章25節)

新型コロナウイルスの流行から教えられる事は多々ありますが、中でも大きなことの一つは「人間の力の小ささ」ではないかと思います。

一昔前に比べて寿命は延び、以前は「不治の病」だったのが、今では「完治する病」に変わりました。そして「医療の行く手には輝かしい未来が待っている」と人々が感じ始めた頃、どこからともなく現れて、冷や水を浴びせたのが今回のウイルスでした。

自然をコントロールできている」と考えてきた私たちのその感覚は、実は錯覚だったのではないだろうか—。

私がこのことを学びとる場所がキャンプ場です。

薄い布と細いフレームで作られたテントは、風が吹けば揺れ動き、雨が降れば大きな雨音がします。浸水の懸念や倒壊の可能性が頭をよぎり、眠れぬ夜となることさえ時にはあります。

ただ、そういう体験をすると「自然の中では自分という存在は本当にちっぽけな存在であること」を痛感させられるのです。

聖書に登場する昔の信仰者たちはそのことを良く知っていたようです。実際、聖書を開くと、自然の驚異に心動かされた詩人たちの歌がたくさん載っています。たとえば、以下のように。

天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ話を伝え 夜は夜へ知識を示す。
話しもせず 語りもせず その声も聞こえない。
しかし その光芒は全地に そのことばは世界の果てまで届いた。
神は天に 太陽のために幕屋を設けられた。
— 詩篇19篇1〜4節 —

翻って、私たちはどうでしょうか。

頑丈で快適な家の中で暮らすうちに、「自然の中における自分の小ささ」を知る機会を喪失してきたのではないでしょうか。そして「神に頼る」ということを、まったく忘れさって生きて来たのではないでしょうか。

今回の危機は改めて、私たちにそのような問いを発しているように思います。あなたは、いかがでしょうか。

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