『日常』を失ってみて気づくこと

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『ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。』(Iコリント15章58節)

1ヶ月半におよぶ緊急事態宣言も、ついに日本全国で解除されました。ここまでの道のりを守って下さった神様に感謝するとともに、必ず到来すると言われる第二波に向けて、しっかりと備えをしていきたいと思わされています。

ところで、これまでの自粛生活を思い返してみると、多くのことを教えられた期間であったように思います。皆さんはいかがでしょうか。

例えば私は、牧師という職業柄在宅での仕事がメインであるため、自粛期間の間、買い物以外は殆ど外出せずに家に引きこもって仕事をしていました。教会の集会は礼拝以外はすべて休止となり、その礼拝も、4月中旬から5月上旬まではネット配信を原則とするなど、前例のない状態でした。

ただ、時間ができたのも事実です。そこでふと思い立って、ずっと手つかずであった納戸の整理を始めました。するとこれが良い気分転換になるのです。味を占めて他の部屋の整理にも着手しました。結果、何年も懸案のままだった不要物品を片付けることができ、見違えるように綺麗になりました。重かった心まで軽くなった気がしました。

4月上旬には教会の外にある掲示板の補修作業も行いました。木が腐り塗装が剥げてしまっていた所を交換して全体を塗り直すと、教会建設当初の雰囲気がよみがえったように感じました。これも何年も未着手だった案件でしたが、成し遂げることができたのです。

発想の転換を自然に行うことができた、ということです。

今回の困難によって、多くの企業が在宅ワークを取り入れました。報じられているところによれば、6割以上の人が「今後も在宅ワークを続けたい」とアンケートに回答したとのことです。通勤して職場にいく毎日が「当然」と思っていたのが、実はそうしなくても充分回っていける、ということに気づいたのです。

この感覚をこれからも忘れないでいることが大切ではないでしょうか。

私たちは普段、「やりたいこと」を行っていると思って生きています。ですが、こうしてその「やりたいこと」ができない状況に置かれてみると、案外それが無くても何とかなることに気づくのです。

そして反対に「やりたくない」と後回しにしていた事が、実は大きな充実感や達成感を与えてくれることに気づくのです。その意味で、今回の危機は「人生の棚卸し」をする良い機会となったように思います。

新型コロナによる困難は、これからも年単位で続いていくことが予想されています。そのような日々を生かされてい今、私たちの心の平安のために大切な事は、「あれもこれもできなくなった」と鬱々とするのではなく「避けていたあのことをやってみよう」と気持ちを切り替えてみる、ということです。チャレンジしてみることです。

神様はきっとその志を祝福し、あなたに新しい発見を与えて下さることでしょう。

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