神と人とを隔てる幕

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『実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。』(エペソ2章14〜15節)

このところ買い物に出かけるとレジで必ず見かけるようになったのが「飛沫防止用のビニールシート」です。これまで見た中で一番長かったのは図書館で、隙間はわずか20cmほどでした。不特定多数の人が集まる場所ではそこまで徹底して行う必要があると考えられているのでしょう。

ただ、透明ですからお互いに相手は見えるのですが、逆にそれが「隔てられている」という感覚を増幅しているように思います。「こちらには来ないで下さい」という雰囲気を感じるのです。皆さんはいかがでしょうか?

ところで、このシートを見て聖書に記されている「あるもの」を思い出しました。それは、エルサレム神殿の内部に設けられた「幕」のことです。2000年前、イエス・キリストがエルサレムで活動された頃、エルサレムには立派な神殿がありました。この神殿は中が二区画に分かれていました。手前側の「聖所」と、奥にある「至聖所」です。この二つの区画を仕切る重要な役割をしていたのが上記の「幕」でした。

手前の「聖所」には祭司のみが入ることができましたが、奥の「至聖所」には、国中に1人しかいない大祭司が、年にたった1度だけ入ることを許される、特別な空間でした。神に近づいていく、ということはそれほどに厳粛で、危険な行為であるとされていたのです。

言葉を換えて言えば、この「幕」は「罪にけがれた人間は完全に義なる神に自由に近づくことはできない」ということを、これ以上無いほど明瞭に示すものだったのです。

ある意味では、これも当然のことでしょう。私たちは、太陽を目で見ることはできません。そんなことをすれば失明してしまいます。それなのに、その太陽を創造された神様を、どうして目で見ることができるでしょうか。太陽すら見ることのできない私たちが、神に近づくことなど、本来不可能なことなのです。

神殿に張られた「」は、そのことを現すものだったのです。

ところが。その幕が取り除かれる時がきました。イエス・キリストが十字架上で死なれたときに、この幕が真っ二つになったのです。それは、至聖所と聖所が一つになった瞬間でした。つまり「神と人を隔てる壁が、取り払われた」のです。

もはや神は「隔てられた壁の向こうにいるお方」ではなく、「信じる者が自由に近づくことができるお方」となって下さったのです。冒頭の聖書のことばは、その素晴らしい恵みを語っています。何と幸いなことでしょうか。

新型コロナウィルスの流行は、今後も当分、続いていくでしょう。

私たちはこれからも出かけるたびに、レジや受付であの「隔ての幕」を見ることになります。そのたびに、キリストが成し遂げて下さったこの素晴らしいわざを、思い起こそうではありませんか。

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