『太陽はもはや、あなたの昼の光とはならず、月の明かりもあなたを照らさない。主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの輝きとなる。』(イザヤ60章19節)
「ジー・・・。ブチッ!」
ある日の朝、耳慣れない音が響き、リビングの半分が突然真っ暗になりました。見上げるとLEDシーリングライトが消えています。壁のスイッチを何度か操作し、取り外して掃除したりもしましたが、結局、常夜灯以外は一切点灯しなくなってしまいました。
「まさかLEDライトが切れる?そんなはずは・・・」と思いつつ、ふと思い当たって、これまでの使用時間を電卓で計算してみました。すると「41,000時間」と出ました。何のことはない、いつのまにか設計寿命を超えていたのです。
リビングにライトが無いのは致命的ですから、その日のうちに電器店で交換品を購入して取り替えたのは言うまでもありません。嬉しい誤算は、この7年間のあいだに技術が進歩して、消費電力が2/3に減り、電気代のみで数年でライトの機器代の元が取れると分かったことでした。
このことからも分かるように、私たちは「LEDというものは、昔の白熱球とは違って滅多に切れないものだ」と考えがちではないでしょうか。しかし、この世の製品には必ず寿命があります。「何万時間の長寿命!」をうたうLEDとて、例外ではないのです。
むしろ、皮肉な事ですが、余りにも寿命が長く、だれもが漠然と「切れないもの」と思っているからこそ、LEDが光を失うと右往左往してしまうのではないでしょうか。
そこで聖書に目を向けたいのです。
冒頭のことばにあるように、聖書は私たちに「決して消えることのない光」を語っています。創造者なる神こそがその光なのです。
この世の光は必ずいつかは消え去っていきます。この先、LEDが劇的に改良されたとしても、それでもやはり必ず消え去るときが来るのです。リビングの光なら、まだ取り替えれば済みます。しかし「人生の光」はそうはいきません。
私たちは、不確実な時代を生きています。新型コロナの先行きがどうなるか、誰にも確かなことは分かりません。巨大災害や集中豪雨、国際関係のねじれなど、私たちが生きていくこれからの時代は暗闇と思えるときが増えてくるように思うのです。
そんなとき、もし私たちがこの世の消え去ってしまう光を当てにしているならば、それを失ったときに右往左往してしまったり、途方に暮れてしまったりするのではないでしょうか。本当に、私たちはそのような頼りにならない「光」に、人生を預けてもよいのでしょうか。
一方、「神の光」は、決して消えることがない永遠の光です。私たちが創造者なる神を信じるとき、その光が信仰者の内に与えられるのです。
だからこそ私たちは、この困難の多い世の中にあっても、希望と平安を失うことなく歩むことができるのです。
あなたもこの「消えることのない光」を、心の中にともしてもらいたい、と思われませんか。創造者なる神は、そんなあなたを、両手を広げて待っていて下さるのです。