苦難を乗り越える復活のチカラ

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『死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 …血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。』(Iコリント15章42〜44節)

もう花期はすぎてしまいましたが、4月、教会前の公園の桜は満開となり、すっかり「春」となりました。そして、教会前の花壇のチューリップが花開いているのを見つけました。まるでイエス・キリストの十字架の受難と、復活のイースターを待ち構えていたかのようでした。

ただ、こんな可憐な花を咲かせるチューリップも、球根だけを見ると幻滅を覚えるのではないでしょうか。「いったいこの泥まみれの球根のどこに、あんな綺麗な花を咲かせる力が秘められているのか」と、そう思ってしまいます。

でも、これこそイースターの発するメッセージではないでしょうか。イエス様の復活は弟子たちですら予期していませんでした。みな「期待は潰えた」「3年半、主と共に歩んだ日々は無駄だった」と失望落胆の底にありました。

ところが、誰も期待すらしなかったあの朝、主は死を打ち破って現実によみがえって下さったのです。これは「神様というお方は私たちが望み得ないと感じる、まさにその悩みのただ中から新しいいのちを生じさせて下さる」ということを表しているように思います。

これは今の世にも当てはまるでしょう。右を見ても左を見てもコロナ一色で、視界までもが灰色に覆われているように感じられるかもしれません。でも、その背後で神様は私たちを恵もうと、着々と備えて下さっているのです。

このような時だからこそ、主をよみがえらせた神の力に信頼して、歩ませて頂きたいと思います。

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