重荷を軽くするリュック

この記事は約2分で読めます。

climber standing on rock near overlooking view of mountain at daytime

『わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。』(マタイ11章29節)

幸か不幸か、私はこれまで、腰痛というものを基本的には経験したことがありませんでした。ところが昨年の秋、山登りに行った後から、慢性的な腰の痛みが出るようになりました。前屈みになるとピキッと痛みが走って、なかなか治りません。

原因は恐らく、登山用でない、一般のリュック大荷物(約10kg)を入れて、長時間行動したことでしょう。このリュックは肩に全重量がかかる構造になっており、そこの筋肉が痛むのを避けようと、無意識のうちに、無理な形で腰を使ってしまったと思われます。

この経験から、今年になって、思い切って登山専用のリュックを調べてみました。登山用のリュックは、肩だけでなく「」にも太くてクッション性の高いベルトが付いており、重さを背中全体に分散させられるようになっているのです。

早速お店に向かい、重りを入れて試しに背負ってみると、効果は劇的でした。

まったく重さを感じないのです。

意外だったのは、に重量がかかっているはずなのに痛みがまるで無いことです。新鮮な驚きでした。肩だけで主さを支えるのではなく、「背中全体で支えること」が大事だったのです。

このことは、私たちの人生にも当てはまるのではないでしょうか。

私たちは痛い経験や苦しい経験をすると、できるだけそれを触れないようにしてしまいます。でも実はそれがかえって「他のところ」に負荷を掛け、痛みを増やしてしまっていることはないかと思うのです。ちょうど、私の古いリュックがそうだったように。

つまり、逆説的なことですが「痛みを見ないようにすると、かえって全体的な痛みが増す」というパラドックスを経験するのです。

大事なことは、痛みも喜びも含めて、人生のすべてのことの背後に神の導きがあったと認め、自分の人生をありのままで受け止めていくことです。痛みをもたらしている事柄を避けたりそこから逃げたりすることでごまかそうとするのではなく、むしろ、人生を全体として受け止めることで、重荷を軽くするのです。私の新しいリュックのように。

そう、「神は、私の人生の出来事全てを用いて、私を成長させて下さっているのだ」と受け止めることです。聖書の神は、そのように私たちを導いて下さるお方です。

そして、私たちが神をそのようなお方として受け止めるとき、不思議と、人生の痛みも和らぐ方向に向かっていくのです。

タイトルとURLをコピーしました