『あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。』(イザヤ46章4節)
「パパ、白髪が1本飛び出ているよ」。
娘と歩く道すがら言われたのが、わが人生2本目の白髪でした。根元から先端まで真っ白の「それ」が、自分の頭に生えている。少し不思議な思いがしました。
こんなことを書くとクスッと笑われる方もおられることは承知しています。でも、皆さんも思い出して欲しいのです。人生で初めて自分の頭に白髪を発見した頃のことを。人によって差はあるでしょうが、やはり、「それなりに衝撃を受けた」のではないでしょうか。しかし、日を重ねるにつれ、段々とその事実を受け入れ、それが自分の一部であることを理解し、愛おしくさえ思えるようになったのではないかと思います。
ある人が次のように言いました。
「少しずつ老いていく自分を知ることは恵みである。なぜなら、もし老いが瞬時に来るのならば、私たちは絶望してしまうからだ」。
確かにそうではないでしょうか。私たちは、自分の弱さを認めることが難しい生き物です。だからこそ主は「ゆっくりと」それを教えて下さるのです。
若い頃は何でもできる気がするものです。でも、私たちは段々と自分の本当の姿を知っていきます。それは「諦め」ではなくて「ありのままの自分」を知っていくためのプロセスなのです。
主なる神は、その旅のすべてにおいて、私たちの永遠の同伴者になってくださるのです。
娘の手で白髪を抜いてもらいながら、その恵みを噛みしめた次第でした。