『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』(Iペテロ5章7節)
暖冬と言われる今年ですが、先日牧師室で机に向かっていると寒さを感じました。エアコンの吹き出し口からはひんやりとした風が出ています。これでは温かくなるはずがありません。
そこで、数ヶ月ぶりにフィルターを掃除しました。ものの5分で終わって取り付けると見違えるように温かい風が出て来ました。ホコリで目詰まりが起こり、エアコンが本来の力を発揮できていなかったのです。
その時ふと感じました。「人間にとって『神を礼拝するということ』も、これと似ているのではないだろうか…?」と。
私たちは日常生活の中で様々な事柄を思い煩っています。夕飯のおかずに始まり国際関係に至るまで、文字通り「ありとあらゆること」が心配の種になりうるのです。最近では新型コロナウィルス感染症のことで頭がいっぱい、という方も多いでしょう。
ちょうどホコリがフィルターに目詰まりを起こして温かい風をブロックするように、こうした思い患いは私たちの「心の風」をブロックしているのです。だからこそ、私たちにとって日曜日ごとに神を礼拝することが大切なのです。
1週間168時間のうち、礼拝のために献げる時間は率にすると2%程度と、ごく少ない時間です。この時間を神様に捧げるなら、冒頭の御言葉にあるように、私たちは心の重荷から解放されていきます。
一方、この時間を疎かにしていくとき、私たちは「心の目詰まり」を起こし、御霊の温かい風に心満たされることもなくなり、本来の力を発揮できなくなってしまうのです。
いまの時期は前述の新型コロナウィルスのために、「集まること」に困難を覚える方もおられるでしょう。そのような場合はインターネット礼拝や、自宅で聖書を読んで静まる個人礼拝を持つことも一つの選択肢です。
大切な事は、フィルターに定期的な掃除が欠かせないように、私たちの「霊」も日曜日ごとに整えられ、聖められていく必要がある、ということです。
今のような不安の時代、困難な時期だからこそ、「霊的な面での健康」が大切ではないでしょうか。