守られている自分に気づく

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『主はあなたを守る方。主はあなたの右手をおおう陰。昼も 日があなたを打つことはなく 夜も 月があなたを打つことはない。』(詩篇121篇5〜6節)

今年の夏休みに、家族でとあるキャンプ場に向かいました。天候が厳しくなることは事前の天気予報である程度覚悟していたのですが、予定を変更するわけにもいかず、決行することになりました。

かくして事前の予報通り当初2日間は殆ど雨、雨、雨…が降り続き、テント内にまで少々浸水するほどでした。

2日目の夕方になってようやく雨が止むと、今度は強めの風が吹き始め、タープテントが一部分破けてしまうほどでした。

3日目の朝は気持ちの良い快晴の朝でしたが、今度はグングンと気温が上がり、タープの下はうだるような暑さで、慌てて涼しい木陰に避難しました。

4日目は撤収の際、ギラギラの直射日光で日焼けをし、二の腕が赤くヒリヒリと痛みました。もちろん、子どもたちはそんな中でも元気いっぱいに遊び回り、また親たちも雄大な景色に心癒やされたことは確かだったのですが…。

この4日間を振り返って「まるで波瀾万丈の人生の縮図のようだ」と思いました。

私たちの歩みには、雨の日も、風の日も、日照りの日も、喜びの日も、等しく訪れます。時には恐れ、時には途方に暮れ、時には心震える感動を味わいます。そのさなかで私たちは自分を造って下さった創造主を忘れてしまいそうになることが、あるいはあるかもしれません。

けれども、冒頭の御言葉にあるように、そのすべての営みのうえに、創造者なる神の導きと守りが溢れているのです。神がお造りになった自然の中に身を置くとき、私たちはそのような「気づき」を与えられるのです。

雨風をものともしない快適な家、コックをひねれば出てくる綺麗な水、夜でも切れることのない電気。そのようなものの一切を一時的に失うのがキャンプの醍醐味です。そうすると、自分の弱さや小ささ、そしてはかなさが身に染みて理解できるのです。

神様の守りはいかに大きいことだろうか。

キャンプ場の満天の星空を見上げながら、そのことを改めて思わされた四日間でした。

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