パンだけで生きるのではなく

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『イエスは答えられた。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」と書いてある。』(マタイ4章4節)

小さい女の子が好む玩具の一つに「お人形さん」があります。とてもリアルな人形もあって、まるで生きているように思えるものもあります。しかし、もちろん本物ではありません

では本物の人間との違いは何でしょうか。それは「いのちがない」ということです。具体的に言えば「息をすること」と「食べること」がないのです。生きているとは、息をし、口からものを食べているということです。それがなければ、生きてはいないのです。

人間の「こころ」や「霊」の面においてもこれは同じです。私たちの「霊」にとっての「息をするということ」とは「祈ること」です。また、私たちの「霊」にとって「食べること」とは「聖書(神)のことばを味わうこと」です。冒頭の聖書のことばでイエス・キリストはまさにそのことを語っているのです。

現代社会における悲劇の一つは、「人間が肉体だけでなく霊を有する存在であることが、全く忘れられてしまっていること」ではないでしょうか。その結果、「物質的には豊かであっても、心は飢え渇いたまま」という人が溢れるような状況を生んでしまっているのです。上記のイエス・キリストのことばは、そのことを見透かしていたかのようではないでしょうか。

どうしてこうなってしまったのでしょう。

それは、人間が「私を生かしているのはこの私だ」と錯覚してしまったからではないでしょうか。しかし人間の中で誰一人として自分の意志で生まれて来た人はいませんし、自分で自分を産んだ人もいません。私たちのいのちは「与えられたいのち」なのです。それなのに、どうしてそのいのちを「生かす」ことは自分自身だけでやっていると考えるのでしょうか

人間は、たとえ死に物狂いで働いて肉体を満足させたとしても、「霊の呼吸・霊の食物」がなければ、虚しさの虜になってしまうのです。だからこそ私たちは、自分を生み出し、いのちを与え、そして生かして下さっているお方に日々祈り、日々そのことばに耳を傾ける必要があるのです。

人はパンだけで生きるのではない」。

人間は万能であるかのように思われつつある今の時代、この主のことばをもう一度深く心に刻みたいと思います。

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