心をうつしだす鏡

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『主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。』(Iコリント4章5節)

社会人男性の朝につきものと言えば「髭剃り」でしょう。髭の濃い私も例外ではなく、毎朝5分は電動シェーバーを頬に当てなければなりません。朝の忙しい時間ゆえ、新聞を読むなど「ながら」で行うことが大半です。ところが、たとえ手ざわりでは滑らかに感じたとしても、洗面所の鏡でチェックすると、至る所に「そり残し」があって、ガッカリ…という経験を毎日のようにします。結局、最初から鏡を見て剃った方が早かった、という訳です。

このことは、「私たちは自分でうまくいったと思っても、客観的に見ると実はそうではないことが多い」という教訓を教えているように思います。

自分で思っている以上に、私たちは「自分を知らない」のです。鏡に映る自分の姿を見なければ、自分の真の姿に気づかないのです。聖書のことばは、私たちにとってまさにその「鏡」の役割を果たしてくれるものです。冒頭のことばは、そのことを教えてくれています。

私たちが聖書を開くと、じつに様々な人物が登場し、彼らの数々の失敗や愚かさが記されていることに気づきます。もし私たちがそれを「遠い昔の異国で起きた物語」としてしか考えないなら、そこから良きものを受け取ることはできないでしょう。

そうではなくて、「ああ、これは私の姿だ。ここに書かれているのは私のことだ」、そのように受け止めることができるなら、その時、聖書は私たちにとって「鏡」になるのです。そして私たちは自分の真の姿を知り、神の助けを頂いて、なすべき正しいことを知らされるのです。

あなたも聖書が語る「あなた自身の姿」に教えられ、目が開かれて、神と共に歩む人生に漕ぎ出していきませんか。