死が滅ぼされるとき

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brown mountain under blue sky during daytime

『最後の敵として滅ぼされるのは、死です。』(Iコリント15章26節)

キャンプの醍醐味の一つに、夜明け前に起きて大自然の中に昇る日の出を見ることがあります。

その日も、目覚ましをかけ、まだ肌寒い中、カメラを抱えてテントを抜け出した私でした。ふと見ると、私と同じように東の方角を見つめながらスマホを掲げる人が何人もいます。水平線から顔を出す太陽を今か今かと待ち構えているのです。

いざ日の出の時刻になると、オレンジ色の強烈な光が輝きました。そこから、太陽が完全に姿を現すまでの十数分の間、身じろぎもせずに見とれました。他の人たちも同じように動きませんでした。

ただ、考えてみると、これは不思議なことではないでしょうか。

何しろ365日、毎朝同じことが繰り返し起こっているのです。特別なことが起きたのでは無い。それなのに、どういう訳か人は日の出を見て感動を覚えるのです。

その原因は「自分を生かしてくれている力の始まりを見ることができた」と感じるからでしょう。

太陽がなければ人は生きていけません。その太陽の恵みが今から始まる、その瞬間を目撃できたという満足感。それがこれほどの感動をもたらすのでしょう。

イエス・キリストの復活もこれと似ています。

冒頭の聖句にあるように、キリストの復活は「死が滅ぼされた瞬間」です。もう死に怯える必要はありません。神の御子の前に、死は敗北したのです。そのような恵みの時代がこの日から始まったのです。だからイースターは恵みなのです。

イエスの復活はまた「同じことが、あなたの未来にも起こるよ」という約束手形でもあります。

信仰が、この復活のいのち恵みを、確かにあなたのものにするのです。

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