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『主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。』(イザヤ55章6〜7節)
数年前に教会の裏側を防草シートで覆ってから雑草の猛威も劇的に和らいだのですが、先日久しぶりに「難敵」が現れました。1m近くも成長した「アザミ」です。
実は古川に来るまでの私は、この植物を聖書の中で耳にしたことはあっても、実際に目にしたことはありませんでした。ところが、教会裏には毎年生えてくるのです。最初の頃は果敢にも手袋だけで駆除しようとしました。その結果、ひどい痛みが走りました。トゲが想像以上に鋭かったのです。その経験から、まだ背が低く小さいうちにコテなどで駆除するのが最善と学んだはずでしたが、今年はうかつにも、それを怠ってしまっていたのです。
考えてみるとしかし、私たちの中にも「ココロのアザミ」が生えてはいないでしょうか。
このココロのアザミとは、「罪」のことです。罪とは、冒頭の聖書のことばにあるように、「神を求めないで生きること」です。聖書は「この世界と宇宙は偶然の産物で無目的に存在するようになったのではなく、神が意味と目的をもって全てを創造されたので、存在している」と教えています。だからこそ人生には意味があるのです。
これが事実なら、そういう「神」を無視して生きるということは問題を引き起こしそうだ、ということにお気づきになるのではないでしょうか。事実そうなのです。人間の人生に起こる様々な問題はみなこの「神を求めないで生きる」というところから生じているのです。「神を信じる」とは、「この神のもとに帰ること」なのです。里帰りをすることなのです。
ですから、もし自分の中にそういう罪があると感じたならば、決してそれを放置しないですぐに対処することがとても大切です。私がアザミを放っておいたとき、痛いトゲに悩まされたように、放っておけばおくほど罪のトゲは強力になり、取り除くのが厄介になってしまうのです。
このことは、虫歯を考えてみても分かるでしょう。虫歯は放っておけば「良くなる」ことがあるでしょうか? いいえ、決してありません。毎日必ず状況は悪化していきます。罪もこれと同じなのです。
いかがでしょうか?
あなたの心の中にもし神様から遠ざかろうとする何らかの罪があるならば、それを先送りするのではなく、《今日》対処すること。
つまり「神のもとに帰る」ことを、今日から始めてみようではありませんか。