『人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。』(エペソ3:19)
先日、「今年は記録的な暖冬でスキー場はどこも雪不足に悩んでいる」というニュースを見ました。確かにこの東北でも雪がちらついたことは数度、多少なりとも積もったのは1度しかありません。関係者の不安はいかばかりでしょうか。
ところでそもそもなぜ人はスキーをするのでしょうか。同じ所を登って降りることに、どれだけ意味があるのでしょうか。以前ある知人がこんなことを言ったのを思い出します。
「山登りの何が楽しいのか分からない。降りるために登るなんて」。
一見もっともにも思えますが、この論法を究極まで進めると「生きることの何が楽しいのか分からない。死ぬために生きるなんて」となってしまいますから、危険とも言えます。
スキーには素晴らしい魅力があります。白銀の世界の美しさと風を切って降りることの爽快感です。同様に山登りの最大の魅力は頂上からしか見えない壮大な風景です。これらは皆、上に登った人だけが味わうことのできる特権なのです。
実はこれは、信仰の世界にも言えることではないでしょうか。
「神様を信じて何の意味があるのですか?」。多くの人はそう感じるようです。そして実際に信じようとはしないのです。しかし、山の頂上からの素晴らしい景色はその山に登った者だけが見られるように、信じた者だけに分かる素晴らしい恵みがあるのです。
冒頭の聖書の言葉はそのことを語っているのです。ですからあなたもぜひ、この神様に向かって心を開き、まず「お祈り」をするところから始めてみてはいかがでしょうか。
その先に、恵みに満ちた世界が待っているのです。