【回答】以下のような確かな物的証拠があるからです。
1.写本の証拠
旧約聖書
レニングラード写本(マソラ本文)
ユダヤ教では古くなった写本はゲニザと呼ばれる洞窟に保管し、時間が経つと廃棄したため、紀元前の旧約聖書の写本が長らく存在しませんでした。ただ後代のものは残っており、代表的なものがレニングラード写本で、紀元1008年に作成されたものです。ユダヤ教の写字生は細心の注意を払って筆写したため、写本の正確性は非常に高いと考えられています。この正確性の高さは、千年以上も古い死海写本(後述)と比べても、わずかしか違いがないことからも裏付けられています。現在、日本語をはじめ世界中で翻訳されている旧約聖書は、すべてこのレニングラード写本から直接翻訳されたものです。

レニングラード写本(マソラ本文)
死海写本
1946〜47年にかけてエリコの14km南方にあるキルベト・クムランの11の洞窟から発見された写本で、巻物944巻(聖書本文206巻、それ以外の文書733巻)があります。放射性同位元素による年代測定の結果、イザヤ書のある部分は、最古のものでは紀元前250年頃に作成されたものと判明しました。資料の数としては断片まで含めると20万枚を超えています。この死海写本の発見によって、旧約聖書の最古の写本は一気に千年以上も古くなり、このことから「世紀の発見」と呼ばれました。
- 見つかった洞窟
- 死海写本の一部
新約聖書
新約聖書は時代が新しいこともあり、写本の数は膨大です。1989年時点でパピルス(葦を織った紙)が96、羊皮紙は大文字写本299、小文字写本2,812の合計3,207もあります。聖書日課も数に含めれば5,000を超えます。中でもパピルスp52は紀元150年頃に書写されたと言われており、これは使徒たちが実際に生きていた時代からわずか70〜100年しか経っておらず、歴史的価値は非常に高いものです(現代の日本に当てはめれば、第一次大戦〜太平洋戦争頃の資料というイメージです)。また、新約聖書全体が揃っている写本の中で最古のものは紀元300年代の「シナイ写本」です。なお、これら多数の写本の間には当然、異読(書き写しの差違)が存在しますが、これらは本文批評学と呼ばれる専門的な研究によって、オリジナルを特定する作業が厳密に行われています。よって現在我々が使用している新約聖書のギリシャ語本文は、当初のオリジナルに限りなく近いと考えて良いでしょう。
参考:様々な文献の残存写本数
では、聖書の資料の数は他の古代の文献と比べると、どの程度のものなのでしょうか。以下に代表的な文献を示しましょう。
| 人物・書物・宗教 | 最古の写本の数とその年代 |
| ホメロス「イリアス」 | パピルス457、大文字写本2、小文字写本188。著者が紀元前8世紀の人であるのに対し、写本は紀元2〜3世紀で、千年以上も経過したものです。 |
| エウリピデス | パピルス54、羊皮紙276。著者は紀元前5世紀の人ですが、写本は紀元4世紀以降のものです。 |
| タキトゥス「年代記」 | 最初の6巻はわずかに1つのみです。しかも本人が紀元前1世紀の人なのに対し、写本は紀元9世紀のものです。 |
| ヨセフス「ユダヤ戦記」 | ギリシャ語写本9。しかし本人が紀元1世紀の人なのに対し、写本は紀元10〜12世紀のものです。 |
| 日本書紀 | 元々は紀元7世紀の書物で、最古の写本は9世紀のものです。また全体のうち7巻については、14世紀が最古のものです。 |
| 仏教 | 釈迦の入滅(死去)の年代も紀元前600〜380年と非常に幅があって、特定されていません。また最古の仏経典とされる「阿含経」は紀元1〜2世紀頃のものとされていますが、この経典でも釈迦が生きた時代から500年近い年月が流れています。このため現在の仏教の経典に書かれていることが釈迦の言葉であるということを示す物的証拠がありません。これは仏教学では周知のことで、仏教家の大きな悩みになっています。 |
| ゾロアスター教 | 経典は「ガーサー」。紀元前1,000年頃に作られたとされていますが、経典は1200年経った紀元3世紀まで文章化されませんでした。最も人気があったゾロアスター教徒の人物伝が書かれたのは、なんと紀元1278年になってからです。 |
| イスラム教 | ムハンマドの死去は紀元632年とされますが、彼の伝記は767年まで書かれていません。つまり死後130年以上も経ってからのことです。 |
以上のことから、聖書の本文は他の歴史的文献と比較しても少なくなく、むしろ非常に多く、かつ十分に古いと言うことができるでしょう。
2.考古学的発見
19世紀末〜20世紀にかけて、聖書の記述の「誤り」を発見したという発表が盛んになりました。モーセ・アブラハム・ダビデ等、文献資料が残っていない人物について「創作である」と主張したのです。しかし「資料が残っていない」ということは、「存在しない」ということを意味しません。単に「資料がまだ発見(発掘)されていない」可能性があるからです。事実、その後の考古学的発見によってそうした主張の大半は覆されていき、むしろ聖書の記述の確かさが証明されていくという皮肉な結果になりました。以下、いくつかの具体例をあげましょう。
いくつかの具体例
ヨハネの福音書5:1〜15「ベテスダの池」
この池には5つの柱廊があったとヨハネは書いていますが、遺跡は発見されていませんでした。このため「ヨハネは不正確である」と言われてきましたが、最近になってエルサレムの地下20mからヨハネの記述どおりにベテスダの池が発見され、5つの柱廊も発見されました。また同じヨハネ9:7にあるシロアムの池や、4:12のヤコブの井戸も発見されています。
ダビデ王の実在性
イスラエル史上最も有名なダビデ王も、その存在の物的な証拠が見つかっていなかったため、創作説が絶えませんでした。しかし、1993年にビラン教授の率いる考古学者のチームがイスラエル北部のテル・ダンと呼ばれる古代の塚の遺跡で黒い玄武岩の碑文を発見しました。この碑文には「ダビデの家」および「イスラエルの王」という文字が刻まれており、紀元前9世紀のものとされています。ビラン教授は「聖書考古学レビュー」誌の中で「聖書以外の古代の碑文の中でダビデという名が発見されたのは、これが最初である」と述べています。

テル・ダン碑文(白い字が「ダビデ」)
ヒゼキヤ王の実在性
ヒゼキヤ王も実在性が疑われていた王の一人でしたが、ヘブライ大学考古学部による、神殿の丘南岸のふもとで行われているオフェルの発掘で、紀元前727-698の印章が発掘された。その印章には古代ヘブライ語で次のように文字が刻まれていた。「レヘゼキヤフー・(ベン)アハズ・メレク・イェフダー」(訳:ユダの王アハズ(の子)、ヘゼキヤのもの)。これによってヒゼキヤが実在の人物であることが証明されたのです。
ベツレヘムの町の実在性
人物だけでなく、町の存在が疑われることもあります。ベツレヘムはその典型例でした。しかし2012年、エルサレムの発掘現場で、「ベツレヘム」という単語がある小さな粘土製の印章が発見されました。発見されたのは文書などに封をする際に使われた「ブラ」と呼ばれる粘土製の印章の一部で、エルサレム旧市街のすぐ外側にある遺跡「ダビデの町」で発掘されました。大きさは1.5センチほどで、印章の表面には古代ヘブライ文字で「ベツレヘム」と書かれていました。
3.預言の成就
聖書には未来のことを語っているたくさんの預言がありますが、それらが実際にその通りに実現していることは、聖書に神的な権威があることを示す証拠の一つとなりうるでしょう。例えば、以下のような実例があげられます。
イスラエルの運命と世界情勢についての事例
1.アブラハムに対する子孫(イスラエル民族)のエジプトでの奴隷生活と脱出の預言(創世記15章)
2.イザヤへの北イスラエル滅亡の預言(イザヤ書7章)
3.ダニエルに対するペルシャ滅亡の預言 (ダニエル書11章)
4.ダニエルに対するローマ帝国出現の預言(ダニエル書7章)
メシヤ(キリスト)についての預言
1.モーセへの「第二のモーセ」到来の預言(申命記18:18)
2.ダビデの家系から現れる(イザヤ書11章)
3.ベツレヘムで生まれる(ミカ書5:2)
4.母は処女である(イザヤ書7:14)
5.民の罪の代償として死ぬこと(イザヤ書53章)
6.着物を分ける兵士の姿(詩篇22:18)
7.ユダの金で買われた陶器師の畑(ゼカリヤ書11:13)
8.十字架上でのことば(詩篇22:1)
9.復活(詩篇16:10)
10.神の子であり三位一体の神(詩篇2:7〜12)
4.聖書自身の証言
「自己証言(自分で自分について証言すること)は証拠にならない」と主張する人もいますので、このセクションはやや説得力が落ちることには留意が必要です。ただ、もし聖書が自らの神的権威を主張して”いない”とすれば、聖書を「神のことば」と信じる理由はありません。ですから、聖書の自己証言に目を留めることは重要と言えます。聖書には、主なものだけでも以下のような証言があります。
① 神ご自身の発話行為
「主(神)は言われた」という表現が聖書の中には2,600回も用いられています。これは聖書そのものが「これは神のことばである」と強力に主張している証拠と言えます。
②キリスト自身による神的権威の主張
イエスは、ユダヤ教のラビのようにではなく「しかし、わたしは言う」(マタイ5章)と、自らが神的権威を持つかのような語り方をしています。また「アブラハム(紀元前2000年頃の人)が生まれる前からわたしはいる」(ヨハネ8:56)ということば、さらに大祭司カヤパの前での「やがて雲に乗って来る」という証言(マタイ26:63)も、人間を超えた存在であることを語っています。
③ 聖書の内部証言
「聖書はすべて、神の霊感による」(IIテモテ3:16)ということばは、聖書の神的起源を現す重要な箇所です。また使徒の代表であったペテロが、同じ使徒であるパウロの言葉を「聖書の一部」とみなしている箇所もあります(IIペテロ3:16)。このことは、人間の口を通して語られたことばでも、一定の基準を満たせば神的起源があるものと認められたことを示しています。
④ 聖書の内部的な一貫性
聖書が書かれた古代の時代は、現代のようなネットや電話が無い時代でした。そのような相互の通信や連絡が非常に限られた中で数十人の著者によって1600年間もかかって書かれたにしては、聖書はその内容の面で、驚くべき一貫性をもっています。ちなみに「新約聖書の四つの福音書には相互に矛盾がある」と指摘する人もいますが、ほぼすべては合理的な説明ができるものです。さらに相互の視点の違い、記述の違いがあることは、むしろ四人の著者が「内容のすりあわせ(改ざん)」をしていない証拠ともいえます。
⑤ 歴史を生き残ってきた聖書
紀元1世紀のローマ皇帝ネロ、4世紀のディオクレティアヌス帝といった、キリスト教を敵視する皇帝たちによって初期のクリスチャンは過酷な迫害を受け、聖書も焚書の対象となりました。それにもかかわらず、聖書は生き残り、現在では世界で2,303もの言語に翻訳されています。もし聖書が小説や偽書であるとするなら、現代のように出版でお金が儲かる訳ではない古代に、これ程の労力と犠牲を払う理由はなかったはずと言えるでしょう。
5.弟子たちの証言
最後に見ておきたいのは、イエス・キリストを信じたクリスチャンたちが、どのように歩んだかという「人生の証言」です。
① 弟子たちの殉教
イエス・キリストの弟子たちは、かつては自らの命を惜しむあまり、師であるキリストを裏切るという失態を犯しました。ところが、後に彼らはキリストのために命を惜しまない人に変えられました。この変えられた歩みは、聖書が主張するキリストの贖いと復活が事実であることの強力な証拠になっています。とりわけ使徒たちはその大半が殉教したと伝えられています。もし十字架と復活が事実でなければ、命を賭ける動機はありません。捏造したと分かっている話のために自ら死ぬ人はいないのです。従って、使徒たちの生き方は聖書の記述の真実性の、生きた証言になっていると言えます。
② 現代のクリスチャンたちの証言
最後は、現代に生きているクリスチャンたちの体験です。今の時代でも、イエスを信じて心が変えられ、生き方が新しくなり、価値観が変わり、希望を持って生きる人に変わる人が数え切れないほどいます。このことは、聖書が時代を超えて働く「神のことば」であることの、実際的な面からの証拠と言えるのではないでしょうか。
いかがでしょうか。これまでいくつかの分野から「神のことばである聖書」の証拠を探してきてお分かりになるように、聖書は物的証拠の面でも、歴史的証拠の面でも、また実際の生きる力として見ても、確かに「神のことば」だと考えてよい、ということです。
この聖書に信頼を置き、平安の人生を歩んで頂くことができれば幸いです。




