心の耳をひらいて

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博士たちが…言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。」これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった。』(マタイ2章2〜3節)

伝えようとしていることが、妨げが入ることによって全く伝わらなくなる—。

先日、そんな経験をしました。出張のため東京に向かう新幹線の中でのことです。行き先を告げる車掌の案内の後、「車内販売よりお知らせいたします♪」と女性の声が流れ始めました。

ところが、まさにそのタイミングで列車はトンネルに突入したため「ゴーッ!」という騒音がおこり、その後のアナウンスは全てかき消されてとても聞き取りづらく、注意して聞こうとしなければ聞こえなくなってしまったのでした。

このことは、イエス・キリストがお生まれになった当時の人々にも当てはまるように思います。

冒頭の聖書のことばにあるように、イエス様がお生まれになった当時、エルサレム中の人々が「準備が出来ていない」状態でした。旧約聖書の預言者たちを通して、救い主のお生まれになる場所、特徴などは数百年も前から詳しく知らされていたのに、いざ救い主が来た時には誰一人気がつかなかったのです。

何が原因でしょうか。

それは「救い主はこうであるに違いない」「こうであって欲しい」。そうした自分の願望ばかりを追い求めた結果、「聖書が何を語っているか」という最も大切な事柄が、心の中からかき消されてしまっていたためです。

まさにあのトンネルの騒音のように・・・・。

私たちはどうでしょうか。現代の生活では、さまざまな情報が飛び込んできます。テレビやスマートフォンをいじれば、膨大な情報が一瞬で手に入ります。しかし、そのようなもので心が一杯になってしまって、人生において本当に大事なことが、耳に届かなくなってはいないでしょうか。

クリスマスから4週間前からの時期を、教会では「アドベント」と呼んでいます。「待ち望む」という意味です。聖書は、イエス・キリストは世の救い主としてお生まれになったと語っています。私たちの心は、このイエス・キリストに向かって開かれているでしょうか。聖書のことばに心を開き、聴く耳をもって聞こうとしているでしょうか。

このクリスマスの時期、もう一度新たな思いで、キリストに対して心の耳を開いてみようではありませんか。

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