真理を追い求める

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『わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守って真実を行う。このような人が正しい人であり、この人は必ず生きる─神である主のことば。』(エゼキエル書18章9節)

先日、牧師の集まりが行われましたが、その席である牧師から、それまでの人生の証しを聞く機会がありました。その方は私と同じ大学の先輩であり、しかも同じ理系牧師(珍しいんです)ということで親しくさせて頂いていました。

彼は、キリスト教とは無縁の家庭で育ち、大学に入った当初も元々は化学の研究者を目指していました。そして「科学こそ万能であって、宗教など神話にすぎない」と信じていたそうです。

ところが、学生時代にさまざまな苦労を通して信仰を持つようになりました。それだけでも珍しいことですが、彼はその後牧師に導かれ、3つの教会で牧師として働きました。しかし、そのような中で様々な困難があったそうです。一番辛かったときには、人格を否定されるような批判を受け、「自分は何のために牧師になったのか。研究者になっていればよかったのではないか」とひどく落ち込み、牧師の仕事も手に付かなくなったそうです。

私たちの人生にもこのような「何のためにこんなことをしているのか」と感じてしまう、落ち込みの時期があります。あなたは、そこからどのようにして脱却するでしょうか。この牧師の脱却は、意外なところから訪れました。ある時ふとこう思ったそうです。

科学にしろ、神学にしろ、『真理』を追い求めるという点では、自分の歩みはつねに一貫してきたのではないか」。

このことに気づいた時から心はスッと軽くなり、礼拝のためのメッセージの準備には喜びがわき、聴衆の反応も好転していったとのことでした。

この証しは、私たちに大切なことを教えてくれているのではないでしょうか。それは、人生には一貫した揺るぎない「軸」が必要だということです。そしてその「軸」を、「真理を求めること」に置けば、そこには必ず祝福があるということです。

私たちは人と比較して良い職業、良くない職業などと、自分の仕事を選別してしまいがちです。けれども、どの職業についているかが私たちに幸福をもたらすのではありません。「私は神様の前に真実に生きてきた」という実感。結局のところ、この実感を確かに持っているかどうかが、「自分は価値ある人生を生きただろうか」という問いに、究極の答えを与えるのです。

あなたは、このような実感と確信を持っておられるでしょうか。