イースターの意味

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『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ3章16節)

イースター(復活祭)、おめでとうございます!

毎年、異なる日にやってくるイースターですが、今年も教会のイースターは、礼拝後に子どもたちによるエッグハント(卵探し)を行いました。「あったーっ!」「見つけたァ〜!」と、目をキラキラさせながら卵を探す子どもたちの姿は、いつ見ても微笑ましいものです。

実はこの、イースターに卵を贈る習慣は中世にまで遡る由緒ある歴史があるそうです。でも、なぜ「卵」なのでしょうか。それは、卵の中からヒヨコが生まれることから分かるように、卵は「いのち」を象徴するものだからです。

イースターの朝、イエス・キリストは死を打ち破ってよみがえられました。その復活のいのちがキリストを信じる全ての人に与えられる、と聖書は約束しています。卵はまさに、その「復活のいのち」のしるしなのです。

このように聞くと、「復活など信じがたい」と感じる方もいるでしょう。確かに、私たちの常識や直感からすれば、反しています。しかし、聖書に記されたキリストの奇蹟の中で、復活は最も証明しやすいものと言われていることは、ご存じでしょうか。なぜなら、無数の目撃者証言が記録として残っているからです。さらに、キリストの処刑直後は恐れて隠れていたキリストの弟子たちが、イースター以降、人が変わったように大胆な人になり、殉教の死までも恐れない人に変わりました。もし復活が弟子たちの巧妙な嘘であるのなら、このようなことは起こらないでしょう(自分で作った嘘のためにいのちを落とす人はいませんね)。

そもそももし「復活」がないのなら、私たちはこの世を去った後はずっと「身体なしの存在」として存在することになります。ですが皆さんは「身体を持たない自分」を想像できるでしょうか。私には困難です。私の身体は「私が私である」というアイデンティティと切っても切り離せないものだからです。

だからこそ、キリストが「身体をもって復活された」ということには、素晴らしい意義があるのです。そう、あなたもあなた自身でありながらかつ、「死を乗り越えるいのち」を頂ける。新しいいのちへと更新される。そういう素晴らしい道が、イースターの朝に開かれたのです。

その意味で、イースターの朝に起こった出来事は、私たちにとってまさに「グッドニュース(福音)」です。それは「2000年前に起こった、私たちとは無関係の出来事」ではなく、私たちに直接、関わりのあることです。だからこそ、教会ではイースターを心からお祝いするのです。