『彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、主の臨在の御使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって、主は彼らを贖い、昔からずっと彼らを背負い、担ってくださった。』(イザヤ63章9節)
昨年の秋、新しい道具を登山で初めて使ってみました。「トレッキングポール」です。
スキーのストックのような金属の棒のことで、両手でこれを持ち、歩きながら地面を突くことで、足だけにかかる体重が手にも分散して足の疲労が少なくなるばかりか、バランスを崩す危険も減る、という触れ込みでした。
実際に使ってみると、確かに効果を実感しました。
岩だらけの場所や急な上り下りにおける不安感が格段に減ったのです。「さすがは『足が四本に増えるようなもの』と言われる所以だ・・!」と感心した次第でした。次回も手放せない道具になりそうです。
さて、聖書は至る所で、このトレッキングポールのように、神様が私たちを「支えて」下さっていることを記しています。例えば「主は私の支えとなられました」(詩篇18:18)などのことばです。神様はいつも私たちと共におられ、私たちの歩みを見守り、手となり足となって災いから守っていて下さるのです。
私たちが今まで生きてくることができたのも、この神様の守りによるのです。そればかりか、冒頭の聖書のことばにあるように、私たちが倒れてしまった時には私たちを「背負う」ことまで引き受けて下さった、と言うのです。
私たちは一人ぼっちで「人生という山」を登っているのではなく、神がいつも共にいて下さるということです。これはなんと勇気づけられることでしょうか。人は「ひとりではない」と感じるだけで、重荷や苦しみを随分と軽くすることができます。信仰は私たちに、そのような確かな変化を与えてくれるのです。
秋晴れの素晴らしい天気の頂上の景色に感動しながら、この恵みの大きさを改めて心に深く思わされた経験でした。