ガラテヤ

ただひとつの誇り

「イエスを信じるだけでは不十分で、割礼も必要である」。このように主張するユダヤ主義者たちと対峙してきたパウロは、彼らが侵食していたガラテヤの教会に向けて記した手紙をまとめていきます。そこに記されていたものは、パウロが最も語りたかった真理の要約でした。私たちも容易に陥りがちな律法主義への警戒をどのようにすべきかを教え、またキリスト者が唯一誇るべきものを語るパウロのしめくくりのメッセージを、聖書から丁寧に解き明かしていきます。

御霊に種を蒔く

クリスチャンの歩むべき道を、「肉」と「御霊」の対比で語ってきたパウロは、この6章では人間関係にシフトして摘要しています。私たちが生きていく時に欠かすことのできない人とのつながり。信仰者として、どのように向き合って行けば良いのでしょか。聖書から説き明かしていきます。

御霊によって歩む

「律法による義から信仰による義へ」。ガラテヤ書の中心テーマですが、この「信仰による義」はどのようにして実現されるのでしょうか。その答えは「御霊」でした。「御霊と肉」とを対比させながら、パウロは御霊の働きが信仰者に以下に必要であるかを語っていきます。聖書からその恵みを説き明かしていきます。

自由の目的

信仰者に与えられている「自由」は、使い方を誤ると、他の人の信仰の歩みを妨げてしまうものにもなりえます。パウロは、そうした問題の原因を明らかにし、そして「自由」の本来の意味を力強く語ります。全ての信仰者に与えられる自由の目的とは何か。聖書から説き明かしていきます。

愛によって働く信仰

「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました」。印象的なフレーズから始まるガラテヤ書5章は、キリスト者に与えられている「自由」とは一体何であるのかを力強く語っています。その本質は「愛」であるとパウロは語ります。聖書から、その意味を説き明かしていきます。

自由の子どもとして

「〜ねばならない」か、それとも解放された自由に生きるか。信仰生活における最も重要な問いの一つを、パウロは創世記に登場する二人の女性にスポットを当て、比喩的に語りながら説き明かしています。聖書の中でも難解な箇所の一つと言われるこの箇所。丁寧に語っていきます。

パウロの情熱

キリストにある自由から離れて、律法主義の縛りに自ら戻ってしまったガラテヤ地方のクリスチャンたち。これまでおもに神学的な面からその問題を語ってきたパウロでしたが、ここでは個人的な「想い」を吐露するかのように語りかけます。その姿はキリストを彷彿とさせるものでした。キリストにある自由の素晴らしさを聖書から語ります。

奴隷ではなく、子です

「神の子どもとされる」。キリスト教が語る「救い」のメッセージの中でも見逃されがちな、しかし大切な要素です。それはいかにして成し遂げられるのでしょうか。パウロは、そのために不可欠であったキリストの十字架の贖いに触れながら、熱く語ります。聖書から丁寧に解き明かしていきます。

律法の役割とは

「律法とは何か」。聖書全体において重要と言えるこの問いに対して、パウロはついに答えを示しています。その答えは、聖書が語る救いが何によって成し遂げられるかについての、非常に大切な原則から導き出されたものでした。しばしば「律法主義」によって縛られがちな私たちにとって、目からウロコの箇所を、丁寧に解き明かしていきます。

信仰によって生きる

律法主義的な生き方は、信仰者であれば誰もが陥る危険があり、また陥っている可能性がある罠です。パウロはいよいよ、律法主義がなぜ問題なのかを理論的に語っていきます。それは、イスラエルの信仰の本質からも離れており、また「のろい」すらもたらすものだったと衝撃的なことを語るパウロ。その真意はどこにあったのか、聖書から説き明かしていきます。

キリストとともに

律法と恵みの関係。キリスト教における救いの理解において最も重要なテーマがとりあげられます。発端は、「愛餐会(食事会)」で表れた「分断」でした。パウロとペテロの間で明らかになったその問題は、キリスト教の本質に関わるものでした。それはどのようなものだったのでしょうか。聖書から丁寧に解き明かします。

キリストの自由を生きる

「キリスト者の自由」とはどのようなものなのか。最も大きな新約聖書のテーマとも言えるこのトピックに、いよいよパウロは踏み込んでいきます。とりわけ、伝道者としての活動の初期にどのように歩んだかを振り返りながら、いつの時代にもキリスト者が守るべきものを熱く語るパウロ。なぜそれほどの熱量で語ったのでしょうか。丁寧に解き明かしていきます。

選びと恵みの神が

「パウロは本当に使徒であるのか否か」。この問いはパウロの伝道者生涯の初期に、常に付いて回るものでした。そのため彼の教えに対しても疑義が向けられたのです。パウロの応答は「神の選びと恵みしかない」というものでした。人間の権威に訴えるのではなく、学歴によるのでもないパウロの使徒としての召しとは、どのようなものだったのでしょうか。人の思いを超えて導くことのできる神の力に思いを向けながら、説き明かします。

キリストの恵みの福音

パウロが最初に記した手紙とも言われるガラテヤ人への手紙には、パウロの信仰理解の中心である「恵みによる信仰」が力強く語られています。ともすると外面的で窮屈なものになりやすい信仰生活。しかし、キリスト教信仰は最初から「恵み」によるものだったということがガラテヤ書を読むと理解できるようになります。聖書から、その神髄を丁寧に語っていきます。

御霊によって歩みなさい

キリスト教の三大祭と言われながら、あまり注目されていない「ペンテコステ(聖霊降臨節)」。しかし、実はクリスチャン生活にとって最も大きな影響を及ぼすことでした。「御霊(聖霊)によって生きる」とはどういうことなのか。聖書のことばから共に見つめていきます。
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