エズラ

あなたは勇気を出して

エズラ記の最後の章では、イスラエルの民が自分たちの罪を自覚して、自ら悔い改めにやってくる場面です。そこで重要な役割を果たしたのが祭司のエズラでした。「とりなし手」として欠かすことの出来なかったエズラの働きは、どのようなものだったのでしょうか。丁寧に解き明かしていきます。

私たちは罪過を負って

「自分が属している共同体の罪を、神の前でどのようなものとして見るか」。一筋縄ではいかないテーマです。エズラは祭司であり学者でもありましたが、民を代表してその罪を背負う道を選びます。その姿は、来るべきあの救い主の姿を予見させるものでした。「他者の罪を背負う」という聖書における贖いの重要なテーマについて、聖書から説き明かしていきます。

信仰の旅

エズラのバビロンからエルサレムの旅の様子は、具体的にどのようなものだったのでしょうか。エズラ8章はその詳しい姿をエズラ自身の筆で生き生きと記しています。その姿は、今の時代を生きる信仰者にもそのまま適用できる部分を多く含みます。聖書から、丁寧に解き明かしていきます。

私の神、主の御手が

エズラ記の名称の由来になっている学者エズラが、ついに表舞台に登場するこの7章。なぜ神殿を建て直した人でなく、彼の名が用いられているかに、聖書記者の意図がありました。目に見えるものの復興以上に大切な「霊的な復興」に心を注いだ人エズラの姿から、同じように異教社会日本に生きる私たちへの信仰の糧を汲み取ります。

喜ばせ、力づけてくださる神

長い中断期間を経て、ついに再開されたエルサレムの神殿建設ですが、一筋縄ではいきませんでした。法的な正当性を問う声が周囲の人々から上がったのです。それに対して与えられた王からの答えは、民を励まし勇気づけるに十分でした。この世界の権威や権力さえも用いて、神の民を励まし、導いて下さる神の真実に、共に目を向けていきます。

再び立ち上がる

長い中断期間を経たプロジェクトを再開することは、ゼロから立ち上げるよりも難しいものです。エルサレムの神殿再建もそれは同じでした。しかも、周囲の人々は必ずしもそれに賛意を示していた訳ではないとなれば、なおさらのことです。そのような状況において、民を励ました要因は何だったのでしょうか。また、生じてきた問題にどのように対処したのでしょうか。イスラエルの民の姿から、信仰者として「この世」にどう向き合えば良いかを見ていきます。

反対者たち

信仰者として生きていくとき、同じ信仰に立たない人や、信仰に対して反対する人との関わり方は、とても大切です。ペルシャ帝国から帰還したイスラエルの民はどのような姿勢を示したのでしょうか。また、それは2500年以上の時を経た日本に生きるキリスト者にとって、どのようなメッセージを放っているのでしょうか。聖書から教えられたいと思います。

据えられた礎

思いがけないキュロス王の采配によって祖国の土を踏んだイスラエルの人々。しかし本当の困難はそこからでした。生活の再建にかかりきりになる人々でしたがしかし、自分たちが何のために帰って来たのか、という根本は決して見失いませんでした。「忙しさ」が全てを覆ってしまう現代の世にあって、信仰者として生きるということはどういう意味があるのか。聖書から説き明かしていきます。

捕囚を解かれて

アケメネス朝ペルシャの王キュロスの不思議な取り計らいによって、捕囚を解かれて故郷・イスラエルを目指した民は、どのような人々だったのでしょうか。一見すると無味乾燥な人数の羅列に見える箇所の背後にある一人ひとりの信仰者の姿にフォーカスを当て、現代に生きるキリスト者の歩むべき道を考えていきます。

主のことばが成就するために

今回からエズラ記の連続講解が始まります。バビロン捕囚から70年が過ぎようとしていた頃、神はユダヤの民を顧みて、事を起こし始められます。その方法は実に意外なものでした。約束を必ず果たして下さる真実な神の姿を、聖書からご一緒に知っていきたいと思います。
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